独り言 / 産後ケア

朝のひととき: 子どもの発達とミラーリングの不思議

急になんだか思いついて私のあかちゃん分析がひらめいたので書いておこうと思った。科学的でもなんでもない私の所感であり、メモ書きのようなもの。でも、なんだかとても大切な気がするのでブログに書いておこうと思う。論文調べ直したのでなんとなく論文調モードだけど……気にしないで書いてみよう。

はじめに: 朝、目を覚ました瞬間に、ふと心に浮かんだあの漫画の言葉。「人の目の中には鏡が入っている。だから笑顔の人には笑顔になり、怒っている人には怒りが湧く。」この深い意味を、今日は少し掘り下げて考えてみたい。

ミラーリングの魔法: 赤ちゃんの純粋な瞳には、私たち大人の動きや表情が映し出される。大人が口を開ければ、彼らも無意識にそれを真似る。この不思議な現象は、4ヶ月頃から更に発展し、彼らが人の気持ちを感じ取る第一歩となるらしい。生まれながらにもつ真似るという動作。遺伝子に組み込まれているのか。教えなくても他のものを真似できることはやってみようとするのがなんとも不思議。この仕草の可愛さ加減に大抵の大人は悶絶することになる。

自我の冒険: 自我の形成は、他人の感情を感じ取ることから始まる。他者の喜びや悲しみを自分のものとして感じることで、子どもたちは「これは自分の気持ち」と「これは他人の気持ち」とを区別し始める。そして、2歳頃になると、この自我は「私はあなたとは違う」という強い主張となって現れる。これが俗に言うイヤイヤ期なのだろう。自我は3ヶ月過ぎから芽生え始めるが、この2歳という時期にきちんと自分の人生を歩みだす「私」になって人生の冒険が始まるのだと思う。あらゆる今を嫌だと振り払い自分の人生の冒険へと旅立とうとするなんて、なんとも勇敢な時期だ。情緒不安定になるのも仕方のないこと。この時期はミラーリングを拒否している時期なのだと考えられる。大人を模写しないとどのようなことになるのかも確かめている時期でもあり、ここで自分というものを受け入れてもらえた安心感はその後の信頼関係にもつながると言われている。ただ、大人はミラーリングが続いているので、拒否されると拒否したいという気持ちにかられ、大人も情緒不安定になる時期でもある。ここで大人が培われるのは「忍耐」だ。耐えるしかない。大人もまだまだ成長することができると実感する時期でもある。

感情の鏡: ミラーリングの発達が4歳頃までとされるのは、この時期までに他者の感情を適切に理解し、反映することが、子どもの感情の成熟に繋がるからかもしれない。「3つ子の魂百まで」との古い言葉が、ここで再び意味を持つ。つまり、幼い子どもにあらゆる感情をぶつけてみたり、子供の感情を受け止めてみたりの行為は発達に密接に関わっているということなのだと改めて思う。昔からその時期の成長の重要性がなんとなくわかっていたからそんな言葉ができたのだろう。ネットもない時代に大切なことはきちんと伝えられてきた。これもすごいことだと思う。私も結局幼い頃読んだものや見聞きしたものが自己形成に大きく関わっていると感じている。新しく入ってくる多くの知識よりも、幼い頃の淡い色の景色の中で感じたことのほうが鮮明に思い出せたりするものだ。鏡に刻み込まれているのだろう。鏡は出来上がっているものではなく、4歳までに磨き上げられ作られるものなのだ。だから、美しいものを見せたり、たくさんの笑顔を見せたり、皆で笑ったり、そんな時間の一つ一つが大切なのだと思う。

まとめ: 朝のひととき、窓から差し込む柔らかな光と共に、子どもたちの感情の成熟と発達について考える。ミラーリングの不思議さに改めて心が温まり、今日も不思議に満ちた赤ちゃんたちとの貴重な瞬間を大切に過ごしたいと思う。私のことを覚えていなくても、私のこの愛しい気持ちの一部はきっとあの澄んだ瞳の中に吸収してもらえて、鏡の一部にしてもらえるのではないかと自己満足に浸ってみたのであった。  終わり

 

追記:いつかもう少し詳しくミラーリングについて調べたいな。

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